事の発端はFACTA ONLINEが報じたニュース
韓国国情院がLINE傍受
「通信の秘密」を守る法律がない韓国では問題にならないため、あっさり認めたというもの。
これに対してLINEの森川社長は「きちんと通信を暗号化してるのでありえません」といった趣旨の反論をブログで行った。
この社長、実は過去にやらかしたことがある。LINE上の通話において、電話番号の詐称が実際可能であるにもかかわらず、問題ないから安心して使ってくださいといった発言をした。
それもあって、この反論を聞いても手放しで安心できないという人が多いという事なんだろう。
僕が思うに、これ実際やってると思います。
通信を暗号化しているからとか言っていますが、全区間暗号化しているとは思えませんし、実際やろうと思えば何だってできちゃいます。サーバーハックして秘密鍵抜くなんて方法から、ハードディスクを繋いでるコードをネットワークだ!って言いきってしまう力技だって存在します。
傍受したデータを欧州のサーバーにおいて解析しているという話からして真実味があります。
じゃあもうLINE使わない方が良いのか?と聞かれたらケースバイケース…と答えるかな?
僕自身、こんな可能性はLINEが出たころからずーっと考えていたことで、最初っから使わないようにしていましたが、今では周りのみんなが使うので使っています。
友達との日常会話や連絡には便利ですからね。
なんで使うのかというと、恐らく実害はないだろうという希望的観測があるからです。
実はテキストデータの解析って非常に難しい分野で、テキストマイニングという統計技術を実際に導入しても効果の得られる変数を設定しない限りあまり意味のないものになってしまいます。
統計データですらこんなですから、その天文学的数量になる個人の1データなんて解析する余裕はほとんどないはず。特に無名の1個人であれば彼らにとって追跡するメリットがない上、ものすごいコストがかかってしまうため、やる意味はないかなと。
政治家や影響力のある著名な方は別ですが、個人が韓国の国益に関しない情報を発信する分には、それほど大きな問題にはならないかと思います。個人にとっては。
ただ、とはいえ統計で「日本の動き」を解析されている訳ですから、少なからず国益を損ねていることは確か。
愛国の士のみなさんは無視できない問題でしょう。
ならば、絶対安心な「完全に日本にローカライズされたLINE」を作ってみてはどうでしょうか?と思ったりしました。
2014年6月19日木曜日
2013年10月25日金曜日
日本人は皆社会に追われて生活してる
フリーランスになって気ままな生活を送っていて非常に強く感じるようになりました。
多分、日本人働き過ぎです。いや、昔から言われてる事だと思いますけど。。
僕が言いたいのは時間じゃないんです。
皆、何かに追われるように働いている。。
かくいう僕も今これからやってくる税金と保険の支払いに追われるように、何とかいくらかは稼がないとと必死になっています。
これが嫌なら会社員として真面目に働け、という事なんでしょうけど。
でも近年の企業は真面目な社員を人間として扱ってますか?
(僕はIT企業しか知りませんけど)
社員のキャリアプランやメンタル・体調なんてお構いなしで、会社の利益のためにコスト削減のために良いように使われる。不要になればリストラと称して退職に追い込まれる。
でもみんな怖いから辞められない。
他の企業も終身雇用が基本だからなかなかいい仕事がない。
そんな状況で税金や借金を払えるか解らない。
多分、みんな会社員ってギリギリで働いているからなんじゃないかと思うんです。
誰だって1年位何もしないで楽しみたいって思うと思うんです。
でも、会社が許してくれないし、税金や保険を払いながら遊べるほど貯えもできていない。
で、僕が思ったのが「みんな社会に追われて生活してる」んだなって事。
個人の生活のためよりも、会社や社会を支えるために働かされ続けてる。
みんな必要以上に恐怖をあおられ、経営者層や国の都合のいいように働かされ続けているように見えるんです。
僕ら本当に必要なもののためにこき使われているんですかね?
税金高くないですか?
本当は必要ない公共福祉をもっと見直せばこんなに払わなくて良いんじゃないでしょうか?
健康保険だってそうです。
予防医療に力を入れるようにすればこんなに高額な保険を払う必要はないんじゃないでしょうか?
治らない病気が治るようにする研究等に、もうこんなにお金をかけなくても良いのでは?
終身雇用は必要でしょうか?
終身雇用がなくなれば転職しやすくなります。給料も実力に応じて上がります。
一時的に働くのを止めてバカンスを楽しむ事だって抵抗なくできます。うつ病も減るでしょう。
税金や保険が安くなればより一層です。
これからの社会に合わせた制度に変えていかなければいけないのは今じゃないでしょうか?
高齢化社会が進みますが、国民は昔に比べて医学知識が豊富になり、自己予防が高レベルでできるようになりました。
大きく問題になるのは今の高齢者です。
そういった必要なところにピンポイントに力を入れて、国民がより知性を持って行動できるよう裾野を広げる活動を後押ししていくようにしていく事が、これからの社会にとって良いのではないかと思うのです。
多分、日本人働き過ぎです。いや、昔から言われてる事だと思いますけど。。
僕が言いたいのは時間じゃないんです。
皆、何かに追われるように働いている。。
かくいう僕も今これからやってくる税金と保険の支払いに追われるように、何とかいくらかは稼がないとと必死になっています。
これが嫌なら会社員として真面目に働け、という事なんでしょうけど。
でも近年の企業は真面目な社員を人間として扱ってますか?
(僕はIT企業しか知りませんけど)
社員のキャリアプランやメンタル・体調なんてお構いなしで、会社の利益のためにコスト削減のために良いように使われる。不要になればリストラと称して退職に追い込まれる。
でもみんな怖いから辞められない。
他の企業も終身雇用が基本だからなかなかいい仕事がない。
そんな状況で税金や借金を払えるか解らない。
多分、みんな会社員ってギリギリで働いているからなんじゃないかと思うんです。
誰だって1年位何もしないで楽しみたいって思うと思うんです。
でも、会社が許してくれないし、税金や保険を払いながら遊べるほど貯えもできていない。
で、僕が思ったのが「みんな社会に追われて生活してる」んだなって事。
個人の生活のためよりも、会社や社会を支えるために働かされ続けてる。
みんな必要以上に恐怖をあおられ、経営者層や国の都合のいいように働かされ続けているように見えるんです。
僕ら本当に必要なもののためにこき使われているんですかね?
税金高くないですか?
本当は必要ない公共福祉をもっと見直せばこんなに払わなくて良いんじゃないでしょうか?
健康保険だってそうです。
予防医療に力を入れるようにすればこんなに高額な保険を払う必要はないんじゃないでしょうか?
治らない病気が治るようにする研究等に、もうこんなにお金をかけなくても良いのでは?
終身雇用は必要でしょうか?
終身雇用がなくなれば転職しやすくなります。給料も実力に応じて上がります。
一時的に働くのを止めてバカンスを楽しむ事だって抵抗なくできます。うつ病も減るでしょう。
税金や保険が安くなればより一層です。
これからの社会に合わせた制度に変えていかなければいけないのは今じゃないでしょうか?
高齢化社会が進みますが、国民は昔に比べて医学知識が豊富になり、自己予防が高レベルでできるようになりました。
大きく問題になるのは今の高齢者です。
そういった必要なところにピンポイントに力を入れて、国民がより知性を持って行動できるよう裾野を広げる活動を後押ししていくようにしていく事が、これからの社会にとって良いのではないかと思うのです。
2013年10月24日木曜日
世界を変えるかも知れないビットコイン
世界では麻薬取引などに使われて問題になっているというビットコイン。
いい機会なので、どういう仕組みなのかちゃんと調べてみました。
ウィキを読んでみてもわけが解らず、ここを含めて色々見てみてやっとどういうものかつかめてきました
http://gigazine.net/news/20131007-what-is-bitcoin/
速い話、miner(マイナー)と呼ばれるプログラムをインストールしたパソコン全体で「銀行」を構成するという思想です。
そしてこのminerはネットワークを通じてつながっている。
そのプログラムはビットコインの適切な総供給量を持っており、世界中のminerがそれを取り合うわけです。おそらくパソコンのスペックが高いほどたくさん取れる仕組みになっているんだと思います。
取ったピットコインが自分の財布(ウォレット)に入ってきます。
ビットコインの取引はどうするのかというと、miner全体で取引(トランザクション)を分散保持します。取引が受け入れられるのに認証があり、それを突破すると取引自体が分散保持され、ビットコインの移動が銀行のような権威を通さずに行われます。
犯罪などで問題になっているのは、この取引を追跡することが仕組み上できないからという事です。
仕組みはざっとこんな感じ。
では何故これが世界を変えるのか?
今の経済は「お金」というシステムの上に成り立っています。
お金はそもそも価値のある金属で作り、政府(銀行)がお墨付きを付けた「硬貨」と、銀行が管理している金への引換券である「紙幣」で成り立っています。現在の紙幣はそれ自体が価値を持っていますが。
ここで注目してほしいのは、どちらも銀行という権威が関わっているという点です。
彼らが管理し、お墨付きを加えるという権力を持っているため、お金のシステムは銀行に支配されています。
世界の貨幣は米ドルを中心に回っています。それを連邦準備制度理事会というアメリカの主要銀行(主にユダヤ財閥系)のお偉いさんたちが集まってコントロールしています。
ビットコインはこの支配から逃れるわけです。
両替所は各貨幣に対して出来始めていますが、そのレートは完全に市場原理。
もしビットコインが主流通貨になるとどうなるか?
まず、既得権益を持っている人が痛い目にあいますね。いちいち取られてた銀行手数料などもなくなり、胸のすく思いですが、良い事ばかりではありません。
今まで市場原理に任せてうまくいかなかった部分を政府や銀行が介入してコントロールしてきました。これがやりにくくなります。レートや利率のコントロールができないので、資金投入等の直接的な手段でしか介入できないはずです。(頭のいい人は何か策を思いつくかもしれませんが)
方やビットコインは天才が作ったアルゴリズムに全てをゆだねています。
しかもそのプログラムコードはオープンソースであり、誰でも見ることができます。
当然ソースコードのコミットに参加できる人は誰でもという訳にはいかないと思いますが、それでも世界の経済をコントロールする権威が経済のプロフェッショナルから天才プログラマーに移るわけです。
はたして今まで以上に社会がうまくいくのか?
アルゴリズムの解析で巨大な不正が可能ではないか?
結局新しい権益が生まれて終わるだけなのでは?
このまま突き進むとは思えませんが、いずれにせよ普及すれば世界に大きく影響すると思われるビットコイン。
要チェックや!
いい機会なので、どういう仕組みなのかちゃんと調べてみました。
ウィキを読んでみてもわけが解らず、ここを含めて色々見てみてやっとどういうものかつかめてきました
http://gigazine.net/news/20131007-what-is-bitcoin/
速い話、miner(マイナー)と呼ばれるプログラムをインストールしたパソコン全体で「銀行」を構成するという思想です。
そしてこのminerはネットワークを通じてつながっている。
そのプログラムはビットコインの適切な総供給量を持っており、世界中のminerがそれを取り合うわけです。おそらくパソコンのスペックが高いほどたくさん取れる仕組みになっているんだと思います。
取ったピットコインが自分の財布(ウォレット)に入ってきます。
ビットコインの取引はどうするのかというと、miner全体で取引(トランザクション)を分散保持します。取引が受け入れられるのに認証があり、それを突破すると取引自体が分散保持され、ビットコインの移動が銀行のような権威を通さずに行われます。
犯罪などで問題になっているのは、この取引を追跡することが仕組み上できないからという事です。
仕組みはざっとこんな感じ。
では何故これが世界を変えるのか?
今の経済は「お金」というシステムの上に成り立っています。
お金はそもそも価値のある金属で作り、政府(銀行)がお墨付きを付けた「硬貨」と、銀行が管理している金への引換券である「紙幣」で成り立っています。現在の紙幣はそれ自体が価値を持っていますが。
ここで注目してほしいのは、どちらも銀行という権威が関わっているという点です。
彼らが管理し、お墨付きを加えるという権力を持っているため、お金のシステムは銀行に支配されています。
世界の貨幣は米ドルを中心に回っています。それを連邦準備制度理事会というアメリカの主要銀行(主にユダヤ財閥系)のお偉いさんたちが集まってコントロールしています。
ビットコインはこの支配から逃れるわけです。
両替所は各貨幣に対して出来始めていますが、そのレートは完全に市場原理。
もしビットコインが主流通貨になるとどうなるか?
まず、既得権益を持っている人が痛い目にあいますね。いちいち取られてた銀行手数料などもなくなり、胸のすく思いですが、良い事ばかりではありません。
今まで市場原理に任せてうまくいかなかった部分を政府や銀行が介入してコントロールしてきました。これがやりにくくなります。レートや利率のコントロールができないので、資金投入等の直接的な手段でしか介入できないはずです。(頭のいい人は何か策を思いつくかもしれませんが)
方やビットコインは天才が作ったアルゴリズムに全てをゆだねています。
しかもそのプログラムコードはオープンソースであり、誰でも見ることができます。
当然ソースコードのコミットに参加できる人は誰でもという訳にはいかないと思いますが、それでも世界の経済をコントロールする権威が経済のプロフェッショナルから天才プログラマーに移るわけです。
はたして今まで以上に社会がうまくいくのか?
アルゴリズムの解析で巨大な不正が可能ではないか?
結局新しい権益が生まれて終わるだけなのでは?
このまま突き進むとは思えませんが、いずれにせよ普及すれば世界に大きく影響すると思われるビットコイン。
要チェックや!
2013年9月25日水曜日
わが闘争を読みながら 第五章終了
いや、これ一文の中に修飾が多くて、日本語だと読むのめっちゃ大変なんですよね。動詞にたどり着くころには主語を忘れてるみたいな(笑)。
で、非常に進みが遅いですが、今回は第五章を終えたところまでで思った事を書いておきます。
三章から四章にかけて、彼の政治的な思想について書いてましたね。過去の、ウィーンからミュンヘンへ移ったくらいまでの当時の考え方として書いていますが、注意書きにもあるように彼が執筆した時点での思想なんだと思いました。
内容はとにかくハプスブルグ家の政治とユダヤ人をけちょんけちょんに言ってます。
全部書いてると長くなるし、サマリーするのも難しいんですが、たぶん根本的に彼は完璧主義で潔癖なのかなと感じました。
全体としてやるべきことに向かえないオーストリアの政治とどんどん居場所がなくなるドイツ系住民。対抗して起こるドイツ系の政党の体たらく。これらについて、問題点を指摘してこうすべきだという論調で話が進んでいきます。
汎ドイツ主義運動に対して、もっと民衆を扇動するような施策を打つべきだと言っていたりとか、労働者階級をベースに階級闘争に主眼を置いた切り口、マルクシズム=ユダヤ主義をペスト呼ばわりしているところなどに良く知られているヒトラー像が表れていると思います。
ただ、この辺から理論の飛躍が半端なくて煽っているような言い回しが多くなってきてます。
特に平和主義に対する論理ですね。
「国家は種(彼の中では=民族)の発展維持をいっそう可能ならしめ、摂理によって規定された自己存在の目標を達成するための心理的、精神的に同一な生物の共同社会組織である」として、経済活動を中心とした平和的、国際的国家の発展を否定し、民族が生き抜くためにあらゆる手段を取るべき集団であるべきだとしています。
そもそも人間社会の始まりが種の保存の衝動だからと言って、現代社会においてそれが最も重要視されるとはならないと思いますし、心理的、精神的に同一な生物なんて存在しないでしょ。
同じ日本人でも地域で割れば考え方も変わる。家族で割ればやっぱり違う。家族内でも親と子では違うし夫と嫁でも違います。
まぁ論理飛躍はありますが、ここで勢いをつけて第一次世界大戦のきっかけとそれへの思いを経て、自身の戦争参加の話を通して暴力が肯定される場合の持論を展開します。
体制に対抗するときに、当然その体制は大衆の支持を得ており確固とした思想があるのだから、自身の主張を守る事に専念することなく、体制側の思想を攻撃すれば成就される。
こんな感じですかね。端折り過ぎて誤解を招くかもしれませんが、まぁ暴力自体の善悪自体は気にしてる様子はありません。
彼は政治的手段で体制に対抗しようとすると潰されるか懐柔されるかになると信じて(どうしてそうなるのかは書内に記述されています)いますので、排除するには暴力しかないとしています。
そしてその暴力の担い手に理念があるのであれば攻撃することになり有利となると。
うーん、種を保存するとか言いながら、暴力を振るうとどうなるか、何のために法があるのかを完全に無視しているところが何だかなと思わせますね。
とはいえ、オランダ領のアフリカの地で金が見つかった!と聞いたイギリスが攻め取りに行く時代ですから、国家の暴力を否定する考えに至れないのも仕方ないのかもしれません。
とにかく、彼はこの状況は徹底した暴力でしか打破できないと感じていたのは確かなようです。対抗勢力は無慈悲に徹底して殲滅する覚悟を持っていたように書かれています。
そして五章は大戦後、政治家を目指すことにしたと書いて結んでいます。
いやー、なげぇなぁ。いつ読み終わる事やら…
で、非常に進みが遅いですが、今回は第五章を終えたところまでで思った事を書いておきます。
三章から四章にかけて、彼の政治的な思想について書いてましたね。過去の、ウィーンからミュンヘンへ移ったくらいまでの当時の考え方として書いていますが、注意書きにもあるように彼が執筆した時点での思想なんだと思いました。
内容はとにかくハプスブルグ家の政治とユダヤ人をけちょんけちょんに言ってます。
全部書いてると長くなるし、サマリーするのも難しいんですが、たぶん根本的に彼は完璧主義で潔癖なのかなと感じました。
全体としてやるべきことに向かえないオーストリアの政治とどんどん居場所がなくなるドイツ系住民。対抗して起こるドイツ系の政党の体たらく。これらについて、問題点を指摘してこうすべきだという論調で話が進んでいきます。
汎ドイツ主義運動に対して、もっと民衆を扇動するような施策を打つべきだと言っていたりとか、労働者階級をベースに階級闘争に主眼を置いた切り口、マルクシズム=ユダヤ主義をペスト呼ばわりしているところなどに良く知られているヒトラー像が表れていると思います。
ただ、この辺から理論の飛躍が半端なくて煽っているような言い回しが多くなってきてます。
特に平和主義に対する論理ですね。
「国家は種(彼の中では=民族)の発展維持をいっそう可能ならしめ、摂理によって規定された自己存在の目標を達成するための心理的、精神的に同一な生物の共同社会組織である」として、経済活動を中心とした平和的、国際的国家の発展を否定し、民族が生き抜くためにあらゆる手段を取るべき集団であるべきだとしています。
そもそも人間社会の始まりが種の保存の衝動だからと言って、現代社会においてそれが最も重要視されるとはならないと思いますし、心理的、精神的に同一な生物なんて存在しないでしょ。
同じ日本人でも地域で割れば考え方も変わる。家族で割ればやっぱり違う。家族内でも親と子では違うし夫と嫁でも違います。
まぁ論理飛躍はありますが、ここで勢いをつけて第一次世界大戦のきっかけとそれへの思いを経て、自身の戦争参加の話を通して暴力が肯定される場合の持論を展開します。
体制に対抗するときに、当然その体制は大衆の支持を得ており確固とした思想があるのだから、自身の主張を守る事に専念することなく、体制側の思想を攻撃すれば成就される。
こんな感じですかね。端折り過ぎて誤解を招くかもしれませんが、まぁ暴力自体の善悪自体は気にしてる様子はありません。
彼は政治的手段で体制に対抗しようとすると潰されるか懐柔されるかになると信じて(どうしてそうなるのかは書内に記述されています)いますので、排除するには暴力しかないとしています。
そしてその暴力の担い手に理念があるのであれば攻撃することになり有利となると。
うーん、種を保存するとか言いながら、暴力を振るうとどうなるか、何のために法があるのかを完全に無視しているところが何だかなと思わせますね。
とはいえ、オランダ領のアフリカの地で金が見つかった!と聞いたイギリスが攻め取りに行く時代ですから、国家の暴力を否定する考えに至れないのも仕方ないのかもしれません。
とにかく、彼はこの状況は徹底した暴力でしか打破できないと感じていたのは確かなようです。対抗勢力は無慈悲に徹底して殲滅する覚悟を持っていたように書かれています。
そして五章は大戦後、政治家を目指すことにしたと書いて結んでいます。
いやー、なげぇなぁ。いつ読み終わる事やら…
2013年9月16日月曜日
わが闘争を読みながら 第三章の途中
これについては色々と大人の事情というか、タブーもあるかと思いますが、思うように書いてみたいと思います。
とりあえず途中までですけど、このヒトラーという人は文章を書くうえでも演説の時のように効果があると思えば関連のある主張を織り込んで書いていくので、たぶん彼の考えの概要は大体掴んでるんじゃないかと思ってます。
今2013年9月ですが、少し前の日本の状況とヒトラーから見た第一次大戦後ドイツ民族の置かれた状況に共通点を多く見出しています。
敗戦によって民族的に戦勝国側やその他の勢力から抑圧されていること。これは直接的なものだけでなく、「空気」もありますよね。それが大きいと思います。
他の民族は許されても敗戦した民族には許されないという空気。
真面目に社会を支え、割を食っていてもそれを享受する民族性。
政治的に活動することを良しとしない民族性。
そういう他民族を見ていて愚かだと思いつつ、許せない気持ちが全体に何となくある。
ヒトラーは革新派という意味で左翼的です。根底にあるのは上に書いたように理不尽な状況に置かれているドイツ民族を何とかしたい、腐敗している政治と宗教を正して効率的に福祉や労働階級の生活の向上に充てるべきだ、といった考え方で、これらは彼のウィーンでの若き日の生活から見たものから来ていると思います。
これらについての考察は的を得ていると思いますし、事実、彼は事、内政に関して大きな成果を出しています。
そして彼がこれらを実現する手段として取ったのが「演説による民衆の集約」で、書の中でも汎ドイツ主義運動を例に出してそのある意味正統的な手段による政治活動を批判して自身の主張の正当性を論じています。
政治目的は理想的、手段は現実的。
以下は僕の考えです。
当時は世界がそうだったからでしょうが、彼は「民族の利益」という立場に立ってしまったことでファシズムと呼ばれるような道に行ってしまったのかなと思います。
実際に僕はヒトラーに会ったことがあるわけでもないので、本当に彼が残虐な精神でユダヤ人の隔離政策を進めていたかどうかはわかりません。
歴史なんてそんなもんだと思いますが、事実に対して後から権威をもった人間が自分たちの都合の良い解釈を付けて評価しているだけで、それらに捉われない考察を各個ですべきだと思います。(これについてはヒトラーも「自分の主義に反する立場から見た考察が必要」と論じていますね)
なのでファシズムの内容については触れませんが、民族主義という対等の仕方は勢力の拡大という意味にしかならず、変わらない大きさのパイの分配率を変えるだけという外交戦略になるだけだと思うのです。
これにより彼はいわゆる搾取される側、「負け組」を作るしかなく、それが当時彼が怠惰だが裕福とみなしていたユダヤ人になったのではないかと。
それが戦争を生み、結局ドイツ民族はまた負け組に落ちてしまいました。
ただ、今のドイツは同じ轍を踏んでいません。国民性は同じですが立場は勝ち組です。
これも過去の教訓を生かし、政治的にうまく立ち回っているからなんでしょう。
現在の日本を振り返ってみると、どうでしょうか?
実際「わが闘争」の内容はネット右翼(僕の目には様々なタイプがいるように見えますが)と呼ばれる人たちの共感を強烈に得るのではないかと感じています。左翼の書が右翼に受けるのは面白いですよね。
危惧するのは同じ轍を踏まないかという事です。
このまま民族主義的な論争を繰り返していてもエスカレートするだけでしょう。いつ日本版ヒトラーが生まれてもおかしくありません。
だからと言って今まで通り隣国の言いなりになっていても、内部的フラストレーションが溜まる一方で、爆発力を増すだけです。
かといって隣国がもはや議論にならないほど感情的だと言うことも事実。
そこで今こそ本当の外交力が必要のではないかなと。
ドイツにしたって、相手にしているのは世界的に悪名(?)高いユダヤ系組織や人権擁護団体(ユダヤ系が多いでしょうが)です。
でも、それなりにのらりくらりとうまくやっている。
ここ最近、メルケル首相が献花している姿に「日本もそんなやり方やってたら痛い目みまっせ~」というメッセージに感じたりしています。
まぁつまり、僕にも良い答えは思いつきません(笑)。
地道に情報収集とロビー活動するしかないでしょうね。
とりあえず途中までですけど、このヒトラーという人は文章を書くうえでも演説の時のように効果があると思えば関連のある主張を織り込んで書いていくので、たぶん彼の考えの概要は大体掴んでるんじゃないかと思ってます。
今2013年9月ですが、少し前の日本の状況とヒトラーから見た第一次大戦後ドイツ民族の置かれた状況に共通点を多く見出しています。
敗戦によって民族的に戦勝国側やその他の勢力から抑圧されていること。これは直接的なものだけでなく、「空気」もありますよね。それが大きいと思います。
他の民族は許されても敗戦した民族には許されないという空気。
真面目に社会を支え、割を食っていてもそれを享受する民族性。
政治的に活動することを良しとしない民族性。
そういう他民族を見ていて愚かだと思いつつ、許せない気持ちが全体に何となくある。
ヒトラーは革新派という意味で左翼的です。根底にあるのは上に書いたように理不尽な状況に置かれているドイツ民族を何とかしたい、腐敗している政治と宗教を正して効率的に福祉や労働階級の生活の向上に充てるべきだ、といった考え方で、これらは彼のウィーンでの若き日の生活から見たものから来ていると思います。
これらについての考察は的を得ていると思いますし、事実、彼は事、内政に関して大きな成果を出しています。
そして彼がこれらを実現する手段として取ったのが「演説による民衆の集約」で、書の中でも汎ドイツ主義運動を例に出してそのある意味正統的な手段による政治活動を批判して自身の主張の正当性を論じています。
政治目的は理想的、手段は現実的。
以下は僕の考えです。
当時は世界がそうだったからでしょうが、彼は「民族の利益」という立場に立ってしまったことでファシズムと呼ばれるような道に行ってしまったのかなと思います。
実際に僕はヒトラーに会ったことがあるわけでもないので、本当に彼が残虐な精神でユダヤ人の隔離政策を進めていたかどうかはわかりません。
歴史なんてそんなもんだと思いますが、事実に対して後から権威をもった人間が自分たちの都合の良い解釈を付けて評価しているだけで、それらに捉われない考察を各個ですべきだと思います。(これについてはヒトラーも「自分の主義に反する立場から見た考察が必要」と論じていますね)
なのでファシズムの内容については触れませんが、民族主義という対等の仕方は勢力の拡大という意味にしかならず、変わらない大きさのパイの分配率を変えるだけという外交戦略になるだけだと思うのです。
これにより彼はいわゆる搾取される側、「負け組」を作るしかなく、それが当時彼が怠惰だが裕福とみなしていたユダヤ人になったのではないかと。
それが戦争を生み、結局ドイツ民族はまた負け組に落ちてしまいました。
ただ、今のドイツは同じ轍を踏んでいません。国民性は同じですが立場は勝ち組です。
これも過去の教訓を生かし、政治的にうまく立ち回っているからなんでしょう。
現在の日本を振り返ってみると、どうでしょうか?
実際「わが闘争」の内容はネット右翼(僕の目には様々なタイプがいるように見えますが)と呼ばれる人たちの共感を強烈に得るのではないかと感じています。左翼の書が右翼に受けるのは面白いですよね。
危惧するのは同じ轍を踏まないかという事です。
このまま民族主義的な論争を繰り返していてもエスカレートするだけでしょう。いつ日本版ヒトラーが生まれてもおかしくありません。
だからと言って今まで通り隣国の言いなりになっていても、内部的フラストレーションが溜まる一方で、爆発力を増すだけです。
かといって隣国がもはや議論にならないほど感情的だと言うことも事実。
そこで今こそ本当の外交力が必要のではないかなと。
ドイツにしたって、相手にしているのは世界的に悪名(?)高いユダヤ系組織や人権擁護団体(ユダヤ系が多いでしょうが)です。
でも、それなりにのらりくらりとうまくやっている。
ここ最近、メルケル首相が献花している姿に「日本もそんなやり方やってたら痛い目みまっせ~」というメッセージに感じたりしています。
まぁつまり、僕にも良い答えは思いつきません(笑)。
地道に情報収集とロビー活動するしかないでしょうね。
2013年7月17日水曜日
アドルフ・ヒトラーの我が闘争を読んでいます
何をやった人か誰でも知っていると思います。
まあでも自分の5感以外の情報なんてものは、いつだって不確かなもの。
妙な偏見を捨てて、友人の書いた本だと思いながら読んでいます。現在まだ100ページ強読んだくらいですかね。
ここに書かれているものが、完全に彼の本心をストレートに表現しているものかどうかはわかりません。読み手として「民衆」を意識している前提と「学者や政治家」を意識している場合では表現も論調も変わると思います。
一応、裏がなくストレートに書いているという前提で考えると、ヒトラーという人は真面目なんだなと感じました。第1次大戦後の世界においてドイツ民族と各国家の有り体、王族、貴族、企業家と労働者、政治の理想と現実、金の力とユダヤ人。
彼の目には皆がやるべきことをやっていない憤りとドイツ民族が真面目に社会を支えているという自負に近い思い、政治のていたらくとユダヤ人の金と権力と怠惰。
民衆向けに権力者をこき下ろすスタイルもあったかも知れませんが、根本的にそういった思いがあったことは間違いないと思います。
彼が真面目すぎるが故に、ドイツ民族全体が感じていたであろう不公平感と、特に権力者のやるべきことすらやらない怠惰、それによって生まれている非効率が許せなかったんじゃないかと思いました。
こうやって書くと人ごととして感じますけど、僕はこれ、今の日本の状況と重なる部分が大きいと感じましたよ。敗戦国日本が戦後憲法から教育まで使って戦勝国によって自虐感を植え付けられ、そんな中でも奇跡的な復興を遂げた。周辺国にも気を配り続け、多大な経済支援を民間問わず続けたにもかかわらず、近隣国家は反日活動を続けている。
今、日本全体に不公平感が蔓延していることは誰も否定できないと思います。
この国にヒトラーのような煽動家がでない保証ってあるんでしょうか?
マスコミや教育のやっている情報の押さえ込みはいい結果を生むでしょうか?
15億人の極東アジアの人々のうち、誰一人として戦争の引き金を引きませんか?
歴史を研究する意味は民族の優位性を示すためでは決してなく、過去に学び同じ過ちを繰り返さないことであるためです。ドイツでは我が闘争は発禁になっていますが、タブーを排除し過去に真摯に学ぶ知恵を文化を皆で共有して、民間レベルから馬鹿な争いをしないようになると良いですね。
まー、僕は結構楽観的に考えていて、インターネットがある限り世界大戦はもうないかなと思います。コミュニケーションの力を信じているので。
また面白い考察に至ったら感想かきます。
まあでも自分の5感以外の情報なんてものは、いつだって不確かなもの。
妙な偏見を捨てて、友人の書いた本だと思いながら読んでいます。現在まだ100ページ強読んだくらいですかね。
ここに書かれているものが、完全に彼の本心をストレートに表現しているものかどうかはわかりません。読み手として「民衆」を意識している前提と「学者や政治家」を意識している場合では表現も論調も変わると思います。
一応、裏がなくストレートに書いているという前提で考えると、ヒトラーという人は真面目なんだなと感じました。第1次大戦後の世界においてドイツ民族と各国家の有り体、王族、貴族、企業家と労働者、政治の理想と現実、金の力とユダヤ人。
彼の目には皆がやるべきことをやっていない憤りとドイツ民族が真面目に社会を支えているという自負に近い思い、政治のていたらくとユダヤ人の金と権力と怠惰。
民衆向けに権力者をこき下ろすスタイルもあったかも知れませんが、根本的にそういった思いがあったことは間違いないと思います。
彼が真面目すぎるが故に、ドイツ民族全体が感じていたであろう不公平感と、特に権力者のやるべきことすらやらない怠惰、それによって生まれている非効率が許せなかったんじゃないかと思いました。
こうやって書くと人ごととして感じますけど、僕はこれ、今の日本の状況と重なる部分が大きいと感じましたよ。敗戦国日本が戦後憲法から教育まで使って戦勝国によって自虐感を植え付けられ、そんな中でも奇跡的な復興を遂げた。周辺国にも気を配り続け、多大な経済支援を民間問わず続けたにもかかわらず、近隣国家は反日活動を続けている。
今、日本全体に不公平感が蔓延していることは誰も否定できないと思います。
この国にヒトラーのような煽動家がでない保証ってあるんでしょうか?
マスコミや教育のやっている情報の押さえ込みはいい結果を生むでしょうか?
15億人の極東アジアの人々のうち、誰一人として戦争の引き金を引きませんか?
歴史を研究する意味は民族の優位性を示すためでは決してなく、過去に学び同じ過ちを繰り返さないことであるためです。ドイツでは我が闘争は発禁になっていますが、タブーを排除し過去に真摯に学ぶ知恵を文化を皆で共有して、民間レベルから馬鹿な争いをしないようになると良いですね。
まー、僕は結構楽観的に考えていて、インターネットがある限り世界大戦はもうないかなと思います。コミュニケーションの力を信じているので。
また面白い考察に至ったら感想かきます。
2013年6月16日日曜日
フリーランスで行こうと思う
です。
独立したいという思いはずーっと昔からあり、1年位前から具体的なことを考えていました。
1年かけて今の会社でやっていることは大体引継ぎができてきたので、最近事業計画を立ててみたりといろいろ考えていました。
で、自分のスキルマップを作ったり、市場と事業と絡めて考えたりして、以下の結論に至りました。
一人で事業をやれるほど、自分にはスキルもコネも資金もない。自分のスキルだけでやっていけそうな事業のアイデアもない。
なんで、起業して会社作ってっていう選択肢は後にすることにしました。
フリーランスでいろんな仕事をしながら見識を広げて仲間も作って、空いてる時間で色々な物作ってという感じ。
それが自分の良いところを活かしつつやっていける最善策なんじゃないかと。
ここで、会社に残るという選択肢もあるかと思いますが、最近の経済状況やニュースを見ていて、フリーでやれる人はどんどん独立すべきだと思ったので、その選択肢はなくなりました。
起点は日本の経済状況です。
アベノミクスで株価が上がっても景気が良くならない。景気とは大衆の気持ちですからね。
マスコミのせいだという人もいますし、もちろんそれもあるとは思いますが、僕は根本的に日本の経営者がビビッているせいだと思うのです。
いくら利益がでようが、他との競争に負けるのが怖くて人件費に回せない。ボーナスでは出せるけど給料には反映できない。できれば内部留保に回したい。
この15年給料はほとんど上がっていないんじゃないでしょうか?僕はバブル崩壊直後の最初の就職氷河期で就職した世代ですが、新入社員当時と今で4割弱増くらいです。一度転職していますが、大体常に好評価をもらってきた30代半ばの人間がその程度の収入しかない(管理職は去年話がありましたが、こういった事情なんで辞退しました)。
長い間日本の経営者は負けが続きすぎて完全に腰が引けているんじゃないかと思うのです。負け癖が付いた人間同士が競争したらどうなるか。お互い攻めずに守り続けますよね。失敗したら内部の敵に即やられますから。
その結果消費者である従業員にお金が回らず、消費は増えない、経済が回らないので景気感もよくならない。
こんな状況にあって、僕は誰かを糾弾してみたところで自体が打開されるとは思えないんです。
だから景気感をつぶす報道をするマスコミや、逃げ腰の経営者、会社を良くしようとしない管理職に文句を言うつもりはありません。
で、僕が考えた、僕らができる日本の経済にとって良いことが「一人でやれるやつは会社を辞める」事です。
優秀な人がどんどんやめていけば会社は人手が足りず何とかして労働力を確保しなければならなくなります。
この時、優秀な人がみんな独立開業していれば従業員として誰かを雇うよりはフリーランスと契約した方が人材の確保をしやすくなります。
理由は有能な人材を確保できる確率が高い事と、従業員は守らなければならないけど、フリーランスに対しては契約書に記載されている事項以上の責任を負う必要がないからです。
すると会社は人件費に対してお金を支払いやすくなります。一過性で責任がないという心理が働きますから、単純に自分たちの事業を回すために必要な能力を持った人材を集めるために必要なお金を使う。ここに市場の原理が働くため、賃上げを渋るという事ができなくなります。
会社に残った人にも変化があります。
ここは賛否が分かれると思いますが、社内の新陳代謝が上がり、正当な競争が始まることになります。今まで狭い社内、課内で比較評価されていたものが、社外の人間を多くチーム内に入れることによってより一般的な範囲での競争へと変化していくことになります。
こうなるとポジショニングがうまく、のらりくらりとやってきた人は今までのやり方が通用しなくなってくることもあるかと思いますが、こういう人はどうなってもうまくやっていくでしょう。
今まで、どうせやっても…と腐ってきた人も、きちんと評価されるようになればやりがいが出てくるのではないでしょうか?
まぁ、そんなことを考えて、とりあえず自分だけでもフリーランスになってみて、どんなもんか感じてみようと思います。
ここに書いた通りのようになるかはわかりませんが、そう思ったんで行動してみることにしました。
何か変化があればまた書くと思います。
独立したいという思いはずーっと昔からあり、1年位前から具体的なことを考えていました。
1年かけて今の会社でやっていることは大体引継ぎができてきたので、最近事業計画を立ててみたりといろいろ考えていました。
で、自分のスキルマップを作ったり、市場と事業と絡めて考えたりして、以下の結論に至りました。
一人で事業をやれるほど、自分にはスキルもコネも資金もない。自分のスキルだけでやっていけそうな事業のアイデアもない。
なんで、起業して会社作ってっていう選択肢は後にすることにしました。
フリーランスでいろんな仕事をしながら見識を広げて仲間も作って、空いてる時間で色々な物作ってという感じ。
それが自分の良いところを活かしつつやっていける最善策なんじゃないかと。
ここで、会社に残るという選択肢もあるかと思いますが、最近の経済状況やニュースを見ていて、フリーでやれる人はどんどん独立すべきだと思ったので、その選択肢はなくなりました。
起点は日本の経済状況です。
アベノミクスで株価が上がっても景気が良くならない。景気とは大衆の気持ちですからね。
マスコミのせいだという人もいますし、もちろんそれもあるとは思いますが、僕は根本的に日本の経営者がビビッているせいだと思うのです。
いくら利益がでようが、他との競争に負けるのが怖くて人件費に回せない。ボーナスでは出せるけど給料には反映できない。できれば内部留保に回したい。
この15年給料はほとんど上がっていないんじゃないでしょうか?僕はバブル崩壊直後の最初の就職氷河期で就職した世代ですが、新入社員当時と今で4割弱増くらいです。一度転職していますが、大体常に好評価をもらってきた30代半ばの人間がその程度の収入しかない(管理職は去年話がありましたが、こういった事情なんで辞退しました)。
長い間日本の経営者は負けが続きすぎて完全に腰が引けているんじゃないかと思うのです。負け癖が付いた人間同士が競争したらどうなるか。お互い攻めずに守り続けますよね。失敗したら内部の敵に即やられますから。
その結果消費者である従業員にお金が回らず、消費は増えない、経済が回らないので景気感もよくならない。
こんな状況にあって、僕は誰かを糾弾してみたところで自体が打開されるとは思えないんです。
だから景気感をつぶす報道をするマスコミや、逃げ腰の経営者、会社を良くしようとしない管理職に文句を言うつもりはありません。
で、僕が考えた、僕らができる日本の経済にとって良いことが「一人でやれるやつは会社を辞める」事です。
優秀な人がどんどんやめていけば会社は人手が足りず何とかして労働力を確保しなければならなくなります。
この時、優秀な人がみんな独立開業していれば従業員として誰かを雇うよりはフリーランスと契約した方が人材の確保をしやすくなります。
理由は有能な人材を確保できる確率が高い事と、従業員は守らなければならないけど、フリーランスに対しては契約書に記載されている事項以上の責任を負う必要がないからです。
すると会社は人件費に対してお金を支払いやすくなります。一過性で責任がないという心理が働きますから、単純に自分たちの事業を回すために必要な能力を持った人材を集めるために必要なお金を使う。ここに市場の原理が働くため、賃上げを渋るという事ができなくなります。
会社に残った人にも変化があります。
ここは賛否が分かれると思いますが、社内の新陳代謝が上がり、正当な競争が始まることになります。今まで狭い社内、課内で比較評価されていたものが、社外の人間を多くチーム内に入れることによってより一般的な範囲での競争へと変化していくことになります。
こうなるとポジショニングがうまく、のらりくらりとやってきた人は今までのやり方が通用しなくなってくることもあるかと思いますが、こういう人はどうなってもうまくやっていくでしょう。
今まで、どうせやっても…と腐ってきた人も、きちんと評価されるようになればやりがいが出てくるのではないでしょうか?
まぁ、そんなことを考えて、とりあえず自分だけでもフリーランスになってみて、どんなもんか感じてみようと思います。
ここに書いた通りのようになるかはわかりませんが、そう思ったんで行動してみることにしました。
何か変化があればまた書くと思います。
2013年3月20日水曜日
日本と社会と会社と組織
組織論を語る上で僕は人間個人という要素の分析無くしてはありえないと思っている。
昨今の書籍を見るに、組織を語っているものの多くはカテゴライズやセグメンテーションなどを中心に論じ、実験的見地や統計的アプローチで語られることが多いように思える。
組織は人の集まりであるのに、なぜ人間を論じないのだろう?
僕は皆、人間を勘違いしているからだと思う。
特に誇り高く生きている人ほど、己のアイデンティティを疑わない。
人間の脳はインプットに対して反応することが得意だ。
五感からの情報、身体からの信号、内部記憶をインプットにした反応
前者2つは生理的に馴染みやすく、皆自然とやっているし、これがほとんどの人間の活動を占めている。これらのほとんどは「受け身」な活動である。発端がすべて情報のインプットだからだ。
その流れは以下のようになる。
上司から公衆の面前で叱責されたというインプットがあったとする。これに対し過去の経験や知識を引っ張りだして、どのような反応をすべきか判断する。例えばこの上司が常に不条理な行動をしており、全員から疎まれていて、常に彼を引きずり下ろすチャンスを狙っている人だったらここぞとばかりに彼の落ち度を指摘するだろう。そうであっても、彼が勝手に転がり落ちる事で得られる効果の方が高いと知識や経験で知っている人なら、そこで彼が踏み外すであろう土台を築くように立ちまわるかもしれない。
そしてその結果どうなったかを「フィードバック」として受け取り、新たに自分の経験や知識として蓄えておく。落ち度を指摘して、逆に上司に論破されれば、そういった経験が内部記憶として保存され、次に同じ状況になった時に落ち度を指摘するという選択肢を選ぶ可能性が下がるのだ。
人間は概ねこのような活動を経て、様々なことを経験し、成長していく。失敗は成功のもとという格言はこういった活動がスタンダードであることを示していると思う。
これに対して内部記憶をインプットにした反応は全く逆の性質を持つ。
過去、経験した体験や収集した知識が大脳に貯蔵されている。
人間はこれらの分析を行うことが出来る。
知識の内容を精査したり組み合わせたりして、補完すべき知識や新しいアイディアに行き着く。
これをインプットとして外部に働きかける。例えば人に意見を聞いたり、インターネットで検索したりする行為がそれにあたるだろう。
こういった行為は新しい知識の獲得や、次のステップへ進むためのきっかけとなり、また新しいインプットを生み、かつ、受け身な反応をより合理的にすることを助けるだろう。
これがいわゆる「主体的な活動」という事になる。
これらは非常にエネルギーやスキルを必要とするサイクルで、そう簡単にできることではない。しかし、このサイクルを身につけることで人間は成長の永久機関を手に入れることができる。
*****************
僕が思うに、人間ができることなんてこれが全てなのです。
人間の成長は経験や知識の増加であり、その量と種類が価値観を生む。価値観は絶対的判断基準の骨子であり、憲法のようなもの。
そして忘れてはならないのは冒頭に書いたアイデンティティ。アイデンティティは判断の集合であり、それは基本的に価値観とニアイコールにあるはずです。
人間は記憶に由来する価値観が全てであるがゆえに、主体的観点から離れることが非常に難しいのです。
記憶を疑うことは判断ができなくなることとイコールであることが原因かもしれません。
だからこそ、人と接する時は、その人の価値観が非常に重要になるのです。それはその人そのものなのですから。
そして、価値観はその人の過去の全てを知らない限りは把握しきれるものではありません。過去のどんな経験が彼の判断基準となっているかなんて知るよしもない事なのですから。(例えば僕は「だって」という言葉を絶対に使わないのですが、その理由が小さい頃に母から禁止令を出されていたからと言うことは親しい友人でも知らないでしょう)
ここまで考えて、ある程度訓練された人間で組織された集団を考えます。
彼らは集団の目的を理解し、それを遂行するための力を主体的に獲得することもできます。集団の問題点を個々が指摘する能力も備えています。
こんな集団なら秩序ある状態を常に保つことが出来るでしょうか?
これをここまで読んでいる人なら皆こう言うでしょう「NO」
ではなぜ100%目的に向かって邁進することが出来ないのでしょうか?
カオス理論的発想ではフィードバックによるカオスがコントロール出来ないからだと説明しています。
しかし、人間組織に絞って考えてみれば、カオスを生む人間のフィードバックはなぜ発せられるのか?それはコントロール出来るようなものではないのか?
僕は最近の日本の組織の一番大きなカオスの原因は、時代が変わったことだと思っています。
スポーツの世界ではすでに変わりきったと言えるのではないかと思いますが、価値観がより論理的、合理的な方向に振れていて、特に若い世代は反応がよく、年老いた世代がついていけていないのが経済界の現状ではないかと思うのです。
その結果、世代間で軋轢を生むことは想像に難しくないでしょう。しかもたちの悪い事に、論理的見地に立っている若者世代のほうが弁が立つ。もうひとつ言えば現行のリーダー世代は結果を出せていない。日本の凋落を生んでいるのは確実に団塊下から中間管理職の世代です。
ここまで分析出来れば、今の日本の組織において、どのように運営していけばうまくいくのか歴然としていると思います。
若者世代は、訴えることを止めてはいけません。でも、期待はしてはいけません。
リーダー達、もっと若者をうまく使いましょう。そのためには非も認めましょう。自分の部下たちの価値観を意識したことはありますか?
組織の目的を忘れてはいけません。社会の仕組みも考えなければいけません。あなた方の生活の安泰は、全て将来の日本経済の安泰あってこそだということは、昨今の年金問題で身にしみて理解されておられるかと思います。
僕から見れば、世の中非常にシンプルなんですけどね
昨今の書籍を見るに、組織を語っているものの多くはカテゴライズやセグメンテーションなどを中心に論じ、実験的見地や統計的アプローチで語られることが多いように思える。
組織は人の集まりであるのに、なぜ人間を論じないのだろう?
僕は皆、人間を勘違いしているからだと思う。
特に誇り高く生きている人ほど、己のアイデンティティを疑わない。
人間の脳はインプットに対して反応することが得意だ。
五感からの情報、身体からの信号、内部記憶をインプットにした反応
前者2つは生理的に馴染みやすく、皆自然とやっているし、これがほとんどの人間の活動を占めている。これらのほとんどは「受け身」な活動である。発端がすべて情報のインプットだからだ。
その流れは以下のようになる。
上司から公衆の面前で叱責されたというインプットがあったとする。これに対し過去の経験や知識を引っ張りだして、どのような反応をすべきか判断する。例えばこの上司が常に不条理な行動をしており、全員から疎まれていて、常に彼を引きずり下ろすチャンスを狙っている人だったらここぞとばかりに彼の落ち度を指摘するだろう。そうであっても、彼が勝手に転がり落ちる事で得られる効果の方が高いと知識や経験で知っている人なら、そこで彼が踏み外すであろう土台を築くように立ちまわるかもしれない。
そしてその結果どうなったかを「フィードバック」として受け取り、新たに自分の経験や知識として蓄えておく。落ち度を指摘して、逆に上司に論破されれば、そういった経験が内部記憶として保存され、次に同じ状況になった時に落ち度を指摘するという選択肢を選ぶ可能性が下がるのだ。
人間は概ねこのような活動を経て、様々なことを経験し、成長していく。失敗は成功のもとという格言はこういった活動がスタンダードであることを示していると思う。
これに対して内部記憶をインプットにした反応は全く逆の性質を持つ。
過去、経験した体験や収集した知識が大脳に貯蔵されている。
人間はこれらの分析を行うことが出来る。
知識の内容を精査したり組み合わせたりして、補完すべき知識や新しいアイディアに行き着く。
これをインプットとして外部に働きかける。例えば人に意見を聞いたり、インターネットで検索したりする行為がそれにあたるだろう。
こういった行為は新しい知識の獲得や、次のステップへ進むためのきっかけとなり、また新しいインプットを生み、かつ、受け身な反応をより合理的にすることを助けるだろう。
これがいわゆる「主体的な活動」という事になる。
これらは非常にエネルギーやスキルを必要とするサイクルで、そう簡単にできることではない。しかし、このサイクルを身につけることで人間は成長の永久機関を手に入れることができる。
*****************
僕が思うに、人間ができることなんてこれが全てなのです。
人間の成長は経験や知識の増加であり、その量と種類が価値観を生む。価値観は絶対的判断基準の骨子であり、憲法のようなもの。
そして忘れてはならないのは冒頭に書いたアイデンティティ。アイデンティティは判断の集合であり、それは基本的に価値観とニアイコールにあるはずです。
人間は記憶に由来する価値観が全てであるがゆえに、主体的観点から離れることが非常に難しいのです。
記憶を疑うことは判断ができなくなることとイコールであることが原因かもしれません。
だからこそ、人と接する時は、その人の価値観が非常に重要になるのです。それはその人そのものなのですから。
そして、価値観はその人の過去の全てを知らない限りは把握しきれるものではありません。過去のどんな経験が彼の判断基準となっているかなんて知るよしもない事なのですから。(例えば僕は「だって」という言葉を絶対に使わないのですが、その理由が小さい頃に母から禁止令を出されていたからと言うことは親しい友人でも知らないでしょう)
ここまで考えて、ある程度訓練された人間で組織された集団を考えます。
彼らは集団の目的を理解し、それを遂行するための力を主体的に獲得することもできます。集団の問題点を個々が指摘する能力も備えています。
こんな集団なら秩序ある状態を常に保つことが出来るでしょうか?
これをここまで読んでいる人なら皆こう言うでしょう「NO」
ではなぜ100%目的に向かって邁進することが出来ないのでしょうか?
カオス理論的発想ではフィードバックによるカオスがコントロール出来ないからだと説明しています。
しかし、人間組織に絞って考えてみれば、カオスを生む人間のフィードバックはなぜ発せられるのか?それはコントロール出来るようなものではないのか?
僕は最近の日本の組織の一番大きなカオスの原因は、時代が変わったことだと思っています。
スポーツの世界ではすでに変わりきったと言えるのではないかと思いますが、価値観がより論理的、合理的な方向に振れていて、特に若い世代は反応がよく、年老いた世代がついていけていないのが経済界の現状ではないかと思うのです。
その結果、世代間で軋轢を生むことは想像に難しくないでしょう。しかもたちの悪い事に、論理的見地に立っている若者世代のほうが弁が立つ。もうひとつ言えば現行のリーダー世代は結果を出せていない。日本の凋落を生んでいるのは確実に団塊下から中間管理職の世代です。
ここまで分析出来れば、今の日本の組織において、どのように運営していけばうまくいくのか歴然としていると思います。
若者世代は、訴えることを止めてはいけません。でも、期待はしてはいけません。
リーダー達、もっと若者をうまく使いましょう。そのためには非も認めましょう。自分の部下たちの価値観を意識したことはありますか?
組織の目的を忘れてはいけません。社会の仕組みも考えなければいけません。あなた方の生活の安泰は、全て将来の日本経済の安泰あってこそだということは、昨今の年金問題で身にしみて理解されておられるかと思います。
僕から見れば、世の中非常にシンプルなんですけどね
2013年3月14日木曜日
テレビの著作権侵害についてちょっと考えた
yahooニュースチェックしててこんな記事をみてちょっと思いました
NHK国会中継ユーチューブ動画が突然削除 「著作権侵害になるのか」と疑問相次ぐ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130312-00000010-jct-soci
昨年10月から、著作権侵害動画をダウンロードしただけで違法ということになりましたよね?
作り手目線ならそうなんでしょう。いや、わかりますよ。重大な機会損失になりえますから。
でも、民放やNHKの、特に公共放送を謳うNHKの放送した番組ってどうなんですかね?
庶民から見ると「放送受信料払ってりゃ見ていい→払えば見る権利がある」ってのが素直な感覚だと思うんです。
そういうと向こうは放送受信料は電波を受信する権利に金払っとんじゃ!って言いそうですけど、別に電波受信したいから金払ってる訳じゃなく、番組みたいから金払ってるわけですよ。
今はケーブルテレビから「電波?」受信?して見れますし、電波を受信するために金払うってのは詭弁も良いとこだと言わざるをえない。番組見るのに金払ってるんです、皆は。
そうすると、受信料払ってれば番組見る権利があると考えるのは当然じゃないですか?
その時間に見れない番組を、正当な手段で他の時間に見れないことが問題じゃないですか?
放送時間以外だと追加料金が発生するなんて、放送受信料の契約書に書いてませんよ?
そうだと自宅のビデオ録画も問題になりますよね?
DVD販売の売上を機会損失だと考えるなら放送受信料に関する契約を改めるべきでしょ?
そういえば契約書ってあったっけ?論理的に考えるなら、放送受信機機を有した家電を購入した際に契約書にサインが必要?
あれ?受信料の支払いって電波法の中にあるのかな?
ふふ、結局よく解らないという事なんですが、以下がはっきりしないと強制できない事なんじゃないかと思ったんです。
NHKの中継を編集なしで他の人が公開することで機会損失が発生しますか?
民放の番組を編集なし(CM付き)で他の人が公開することで機会損失が発生しますか?
まぁそんな感じで考えていたら、テレビ業界のこういった抵抗が、老害の最後のあがきにみえて哀れに思えてきた今日このごろなのでした。
NHK国会中継ユーチューブ動画が突然削除 「著作権侵害になるのか」と疑問相次ぐ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130312-00000010-jct-soci
昨年10月から、著作権侵害動画をダウンロードしただけで違法ということになりましたよね?
作り手目線ならそうなんでしょう。いや、わかりますよ。重大な機会損失になりえますから。
でも、民放やNHKの、特に公共放送を謳うNHKの放送した番組ってどうなんですかね?
庶民から見ると「放送受信料払ってりゃ見ていい→払えば見る権利がある」ってのが素直な感覚だと思うんです。
そういうと向こうは放送受信料は電波を受信する権利に金払っとんじゃ!って言いそうですけど、別に電波受信したいから金払ってる訳じゃなく、番組みたいから金払ってるわけですよ。
今はケーブルテレビから「電波?」受信?して見れますし、電波を受信するために金払うってのは詭弁も良いとこだと言わざるをえない。番組見るのに金払ってるんです、皆は。
そうすると、受信料払ってれば番組見る権利があると考えるのは当然じゃないですか?
その時間に見れない番組を、正当な手段で他の時間に見れないことが問題じゃないですか?
放送時間以外だと追加料金が発生するなんて、放送受信料の契約書に書いてませんよ?
そうだと自宅のビデオ録画も問題になりますよね?
DVD販売の売上を機会損失だと考えるなら放送受信料に関する契約を改めるべきでしょ?
そういえば契約書ってあったっけ?論理的に考えるなら、放送受信機機を有した家電を購入した際に契約書にサインが必要?
あれ?受信料の支払いって電波法の中にあるのかな?
ふふ、結局よく解らないという事なんですが、以下がはっきりしないと強制できない事なんじゃないかと思ったんです。
NHKの中継を編集なしで他の人が公開することで機会損失が発生しますか?
民放の番組を編集なし(CM付き)で他の人が公開することで機会損失が発生しますか?
まぁそんな感じで考えていたら、テレビ業界のこういった抵抗が、老害の最後のあがきにみえて哀れに思えてきた今日このごろなのでした。
社畜のイメージ
最近、記事などで社畜について書いているモノを読んでると違和感を覚えます。
社畜って大勢ではどんな意味で使われてるんですかね?
なんか、記事系だと、
「会社の中で上司やルールの中で働く人」
を指しているように感じますが、これって僕は3種類の人がいると思っています
- 洗脳的な研修や制度上の理由から、会社に従わざるを得ない日々を送っている人
- 長いものにはまかれつつも、その中で創意工夫をして仕事をより良くしている人
- 思考回路を停止し、会社の急先鋒となって他の上にたとうとする人
2と3の間に「表面上は長いものにまかれつつも、内面では屈服せず飄々と流している人」もいますが、もはやここまで来ると社畜とは見えないのではずしてます。
これ、全部一緒くたに考えていいんですかね?
僕の中では、侮蔑の意味がこもる社畜としては3番、ブラック企業の話で揶揄や自嘲的に出てくるのは1番かなと思っています。
だからなんか記事読んでて違和感を拭えない、それは違う感じがしちゃうんですよね。
新しくない、比較的大きめの企業って1と2のタイプが混在しているところが非常に多いんじゃないかと思います。現在の日系企業の閉塞感は決して技術的な問題じゃなく、こういった社会風土からの影響が大きいと僕は思うんです。
何がかというと、この風土って理不尽なトップダウンを疑うことなく最優先する組織を構築しますので、(誤解を恐れずに言うと)高度経済成長でさして苦労して来なかった今の経営層くらいの年代の人の頓珍漢な経営施策がまかり通ってしまい、現場全体で必要と感じている何よりも優先してしまうのです。
そして現場で進めたい改革や研究会がおざなりになってしまう。特に推進もされません。なにせ、経営層はそういったことはわかりませんからね。無駄に畑違いの金融系やコンサル系がトップについている企業が多いですから。
これが日系企業の技術革新、優良事業の創出を阻害している一番の原因だと自分は考えています。
これが正しいとは言いませんが、どうせなら社畜という切り口でこういった社会問題を論ずるといった、もっと高尚な記事を書いてお金をとって貰いたいもんです。
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